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Mr.childrenの成熟と喪失(上)・檻の中のシーラカンス 

Ori


生まれたての僕らの前にはただ
果てしない未来があって
それを信じていれば 何も恐れずにいられた
そして今僕の目の前に横たわる
先の知れた未来を
信じたくなくて 目を閉じて過ごしている
(『未来』)

Mr.Childrenが2005年にリリースしたミニアルバム『四次元』の一曲目『未来』。同年のポカリスエットのCM曲でもある。制服姿の綾瀬はるかが疾走するCMの映像は実に爽やかであったが、引用を一読すれば明らかなように、『未来』の詞はあまりにネガティブで、映像にはまったく似つかわしくない。
ちょうど10年前、同じくポカリスエットのCMで使われていたのは、ミスチルのブレイクのきっかけとなった名曲『innocent world』である。1995年の桜井和寿は、宮沢りえがダチョウに乗ろうとする映像に合わせて、未来への希望を高らかに歌い上げていた。

Ah 僕は僕のままで
ゆずれぬ夢を抱えて
どこまでも歩き続けていくよ
いいだろう? Mr.myself
(『innocent world』)

この10年の間に、彼らはいったい何を失ってしまったのだろうか。

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山下邦彦の『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿終りなき音の冒険』は、楽曲・詞・インタビューを元に、デビューから5thアルバム『深海』までのミスチルの変遷を読み解いた評論集である。この本の中で山下は、96年のアルバム『深海』を失敗作と断言。さらに『深海』の失敗が98年からの活動休止の原因になったと指摘している。
ミスチルの長いキャリアの中で『深海』を最高傑作に推すファンの数は少なくない。山下の「『深海』への批判はどのような文脈でなされたものなのだろうか。
山下は、ミスチルの大きな転機となったシングル曲として、『【es】~Theme of es~』を挙げている。

桜井和寿の歌には、ずっとひとつの声が響いていた。
"I Love Tomorrow"
しかし、「【es】~Theme of es~」を作り終えた彼の歌には、その声が失われていた。彼はYesterdayを愛することを覚えてしまったのだ。(中略)周りの「親しい友人」たちはよってたかって、彼の内部から「Tomorrow」を追い出すようなことをしてきたのだ。君の内部にあるのは「Tomorrow」ではない。君の内部にあるのは「es」なのだ、と。
(『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿 終りなき音の冒険』)

同書によると、音楽を始める以前の桜井は、「人から褒められたことがない」「自分には取り得がない」という劣等感が強く、桜井の創造のモチベーションは、その欠落を音楽によって埋め合わせることができると信じたところにあった。それゆえ、桜井はいつでも「過去の自分」よりも「未来の可能性」を愛していた。
しかし、その創造性の根源たる「I Love Tomorrow」の思想を「es」という心理学用語で名付けたとき、桜井の、Mr.Childrenの音楽は決定的に変質した。
《「es」を自分の中に見つけ、そして俯瞰したとき、何かが終わってしまった……》
自分の中にあるモヤモヤとした表現欲求、衝動、リピドー。そういったものを桜井は【es】という心理学用語で説明しようとした。そのことで本来、「明日」へ向かっていたはずの衝動の方向性が変化してしまったというのだ。それも悪い方向に。
確かに年代順にアルバムを追っていくと、『深海』の時期から桜井の詞は変化している。けれども、「終わってしまった」という部分はどうか。むしろ、この方向性の変化こそが、その後10年以上もの長きにわたって彼らの表現を延命させたコアであり、それなくして現在のMr.Childrenはありえなかった、とは考えられないだろうか。
「I Love Tomorrowの思想」について、さらに掘り下げてみよう。以下は同書で引用されているメンバーのインタビューの一部だ。

――曲はどんな風にできてくるの?
桜井「もう天から降ってくるみたいな感じです。」
鈴木「思いつき、というやつか?」
桜井「や、降ってくるんだよ(笑)。曲を作るときはそんなに苦しまないんですね。詞は大変なんですけど。詞はね。」
(『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿 終りなき音の冒険』)

いかにもアーティストらしい、神がかった体験だが、この発言にそのまま『innocent world』の詞を重ねてみることは難しくない。

いつの日もこの胸に流れてるメロディー
軽やかにゆるやかに心をつたうよ
日の当たる坂道を登るその前に
またどこかで会えるといいなイノセントワールド
(『innocent world』)

要するに、「イノセントワールド」とは桜井の頭の中にしかない「ゾーン」であり、そんな超越的な領域、音楽家としての天啓的なインスピレーションの源泉を、桜井は【es】という言葉で表現しようとした。

で、そうして曲が生まれる時って、興奮している。"あ、浮かんだっ!"っていう瞬間って、自分の力ではない気がする。まさに天から降ってくる、みたいに"来る"わけです。でも、二度とこういうことは、起こらないんだろうなぁ、とそのときは思う。(…)
その天から降ってくるという感覚が、つまり"es"なのかなぁ、という気がするんです。
(『Mr.Children Everything―天才・桜井和寿 終りなき音の冒険』)

スピリチュアルな発言だが、ふりかえってみれば初期のミスチルにはこの種の詞が少なくない。『CrossRoad』の「つかの間の悲しみはやがて輝く未来へ」や、『Tomorrow Never Knows』の「心のまま僕はゆくのさ誰も知ることのない明日へ」など。「未来」という概念に託された抽象的な超越性、そこに身を委ねようとする姿勢は、初期ミスチルの詞のひとつの特徴と言える。つまり、山下の指摘する「I Love Tomorrowの思想」とは、ミュージシャンに訪れる神がかり的な瞬間、超越的な感性に身をゆだねようとする姿勢そのものなのである。
しかし、『【es】 ~Theme of es~』以降、桜井はこの超越性を、具体的なアイコンによって表象させるという手法をとるようになった。
問題のアルバム『深海』におけるアイコンは、言うまでもなく「シーラカンス」である。この作品は幻の古代魚シーラカンスを自分の内部に捜し求め、最後「連れていってくれないか、僕も」と絶叫するところで終わってる。ここで桜井は、【es】という心理学用語で表していた超越性を、「シーラカンス」というより具体的な象徴に託したわけだ。
かつて脳髄の中に存在していたイノセントワールド(超越性)はシーラカンスへと姿を変え、桜井はそれを探しに自らの内面の奥底へと沈降していった。桜井和寿の長い内省時代の始まり。それは、天啓に貫かれる官能的な楽園を飛び出し、自意識を抱えて地べたを歩き出した芸術家の苦悩の日々であった。それがもっともよく表れているのが、『深海』に収録されている大ヒット曲『名もなき詩』だ。

あるがままの心で生きられぬ弱さを
誰かのせいにして過ごしてる
知らぬ間に築いてた
自分らしさの檻の中でもがいてるなら
僕だってそうなんだ
(『名もなき詩』)

イノセントでナチュラルな超越的感性に身を委ねていた桜井が、ここで初めて対立項として「自分らしさの檻」という概念を見い出している。「自分らしさの檻」のせいで「あるがままの心」で生きられない。桜井の中にあった「あるがままの心」、つまり超越的感性は、【es】からシーラカンスへと具象化され、自意識の「檻」の中に閉じ込められた。こうして「外面と内面」、「虚飾と本質」、「"演じている自分"と"本当の自分"」といったテーマ、内外の二項対立の図式が導き出される。以降、桜井の関心は「イノセントワールド」や「I Love Tomorrow」に象徴される「あるがままの心」から、それを抑圧している「自分らしさの檻」へと向かうことになる。
例えば、シングル『シーソーゲーム』のC/W『フラジャイル』。

回れ回れメリーゴーランド 土足で人の心をえぐれ
泣いて笑って人類兄弟 死相の浮かぶ裏腹な笑顔で
(『フラジャイル』)

「人類兄弟」というお題目に「死相の浮かぶ笑顔」を対置し、健全なメッセージの裏にどす黒い本質を読み取ろうとするこの詞は、「外面と内面の二項対立」というテーマの最初の萌芽と見ることができる。この種のアイロニーは、『深海』以前と以降を隔てるもっとも大きな違いであり、次のアルバム『BORELO』、そして活動再開後の『DISCOVERY』までの3枚のアルバムのカラーを決定付けている大きな要因でもある。

デルモって言ったら「えっ!」ってみんなが
一目置いて 扱って
4, 5年も前なら そんな感じに
ちょっと酔いしれたけど
寂しいって言ったら ぜいたくかな
かいかぶられて いつだって
心許せる人はなく 振り向けば一人きり
(『デルモ』)

この曲の主人公は、世界中を飛び回る売れっ子のモデルでありながら、「幸せ」がよく分からない寂しい女性である。「自分らしさの檻の中でもがいてる」(『名もなき詞』)というフレーズがこれほどあてはまる詞もない。その孤独で虚飾に満ちた生活を歌い上げる曲の間には、次のような一節がはさみこまれる。

母の優しき面影を
追いかけて唄う
ふるさとの子守唄
(『デルモ』)

演じることに慣れきって、もはや本来の自分との区別のつかなくなった悲しいトップモデル。その築き上げられた虚飾の「檻」の隙間から、ほんの一瞬だけ垣間見えた「本質」。少女時代の懐かしい記憶……。
「人間の二面性」、「内面と外面の齟齬」というテーマを抱えたこの時期の桜井の率直な想い、それは次のようなものであっただろう。

嘘や矛盾を両手に抱え
"それも人だよ"と悟れるの?
(『Everything(It's you)』)

(続く)

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投稿: | 2010.11.04 05:08 午後

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