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【日記】子猫・ファシズム・2ちゃんねる

人間が子猫を殺してはいけない究極的な理由というのは存在しない。
これは残念ながら、どうしようもないことだ。

たとえば「死に舞」さんは坂東の文章について、「ペットという人間と動物の関係において道徳は無力であり、その不可能性を書いたもの」という解釈の上で、「たしかにそれは一つにはあり得る話で、そういった立場もあっても良いかもしれない」と(恐らく渋々ながら)認めている。
また、「未映子の純粋悲性批判」でも「殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく」「あらゆる倫理に強制力はない」と、そのものズバリ結論を明かしてしまっている。要するに、「子猫殺し」を道徳的・倫理的な観点から突き詰めて批判するのは難しいんですな。

これらを前提にした上で、それでも「子猫殺し」を批判するならば、「理由は正直ないんだけど、まあ見ていて気分のいいもんじゃないし、法律的にもマズそうだし、避妊させた方が猫的にもいいだろうし、やめた方がいいんじゃね?」くらいの、口ごもり気味で切れ味の鈍い言葉になってしまう。これは僕が抱いた正直な感想でもあるのだが、自分で簡単に反駁できてしまうのが悲しいところだ。僕の「気分」には何の強制力もないし、法律違反だから止めろというのは批判として貧しいし(法律がなければやってもいいのか?)、避妊したいか産みたいかは親猫に聞いてみなけりゃ分からない。
この問題に言及したエントリをいくつか読んだが、中でもここで取り上げたふたつは明晰な部類である。が、それでも道徳的な判断に踏み込めない以上、切れ味が鈍いことは否めない。道徳・倫理的な判断を迂回しながら、坂東の文章の論理的な不整合、またその文章を発表した行為自体へと批判はスライドしていき、本質である「子猫殺しは許されるか」という問題からはズレていく。
しかしながら今回の場合、本質的な部分の判断を慎重に保留し、迂回する態度をとっているからこそ、これらは優れた批判であるとも言える。最初に書いたように、人間が猫を殺してはいけない絶対的な理由など存在しない。だからこそ本質を保留し迂回せざるをえないわけで、僕らはそこに、ある種の「口ごもった」感覚を読み取らなくてはならない。

さて、ここからが本題。この問題への反応を批判し話題になっているココヴォコ図書館の「衆愚化は子猫の夢を見るか?」。その要点は次の一文に集約される。「「子猫を殺すなんて人間とは思えない!」なんて大合唱するタイプの人間は、簡単に人をガス室に送ることが出来るだろう」。要するに安易な坂東批判に対して疑問を投げかけ、そのやり口がファシズムへと接近していることを指摘しているわけだ。
確かに、坂東批判の大合唱には上述したような「口ごもり」が決定的に欠けている。道徳的・倫理的な批判の本質的な不可能性や、それに伴う逡巡が感じられない、あるのは朴訥な脊髄反射の感情論。これは上の3つのブログの繊細な議論に比べたら暴論であり、一面的な押し付けであるように思える。ということで、僕はココヴォコ図書館のエントリに、ほぼ同意である。

そして、ココヴォコ図書館に対するロリコンファイルの批判は、首をかしげざるをえないというのが正直なところだ。特に、「きっちり文章を書く力はない」人の言葉を過大に評価している部分は、2ちゃんねるやはてブに好意的な僕であっても、疑問を感じる。はっきり言えば、「きっちり文章を書く力はない」人に対しては、過不足なくその程度に評価すれば十分である。だいたい「一行コメントをそっと書く、そういった心の営み」と言ったところで、何も考えず適当に書いたコメントと区別できなければ、その隠された「心の営み」には何の意味もない。仮に口ごもり、逡巡した末に書かれた一行コメントであっても、それが読み取れなければ同じことで、言葉にならなかった部分まで類推して賛美するのはナンセンスである。
つまるところ、これは「口ごもり」のあり方の問題だ。上記のブログが根源を迂回して作り上げた空洞は評価できる。しかし、一行コメントの意図したかどうかも分からない根源的空白は評価できない。

また、同じく引用されている小林よしのりの2ちゃんねる評。ここから読み取れるのは、目に見えない「心の営み」というよりは、むしろ上記のブログに通じる「口ごもり」の感覚である。
小林は2ちゃんねるの「生意気な罵詈雑言」に対しては批判的だが、「生意気な罵詈雑言」と同時に「弱気な自省」が共存している点に関しては肯定的である。小林をボロクソに叩く一方で、「俺らいっちょまえに批判してるけど実際小林にかなわないよね」と自虐的な本音を吐露せずにはいられない2ちゃんねらー。彼らは小林批判を展開しながらも、「自分が小林を批判するに値しない人間である」という不可能性を自覚し、かつそれを馬鹿正直にも告白している。
この分裂は、彼らなりの「口ごもり」の表出であると考えることができる。自分の意見を表明しながら、その意見を根底から覆すような要素にまで言及せずにはいられない、自己矛盾の可能性を孕んだ言説。共通しているのは、脊髄反射のピュアな感情論ではなく、拘泥、逡巡、屈託といった割り切れない感覚だ。上記のブログではこれらが本質からのズレとして現れ、2ちゃんねるでは態度の分裂として顕現している。前者は倫理の問題、後者の自意識の問題であるが、彼らの言葉の「切れ味の鈍さ」は、ポピュリズムから全体主義へとつながる大衆動員の回路を、機能不全に陥らせるだろう。「罵倒」と「自省」の共存、好き放題にレスをつけながらも、どこかその不毛さや無意味さや不可能性と無縁ではいられない。この選民思想とは真逆を向くバランス感覚は、全体主義化へのストッパーとして機能するはずだ。

もっとも、いったん「祭り」になるとこのストッパーが簡単にトンでしまうところに、2ちゃんねるのどうしようもなさがあるんだけどね。肝心なときに役立たずなんだよなー、連中の「自省」はよー。

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コメント

はじめまして、記事の方読ませていただきました。
ココヴォコ図書館の方にもコメントしたのですが、一日置いて26日午後一時現在、ページが見れなくなっている次第です。
ロリコンファルさんがメール晒したりしていたので、それを受けての閉鎖などじゃないと良いのですが。

いい加減ネコ関連も鎮火してきていて、当エントリで言われた「口ごもり」の有無関連に話が進んでいくのを楽しみにしてたのに。

「ほら、あなたの「倫理」とやらは、とりあえず一つのブログを殺しましたよ」みたいな事態ではない事を祈るばかりです。


あー、全然ここに書くべき事ではありませんでしたね。とりあえず、本題の方のリンク切れてます報告を。

投稿: 松 | 2006.08.26 01:41 午後

昔はどうだったか知らないけど、2ちゃんを敵にまわすと怖いぜ、っていう書き込みとかけっこうある

投稿: | 2007.01.14 02:28 午後

VIPが支配しているゲームサイト→http://utpa.jp/?guid=on&cv=133721

投稿: | 2010.11.04 05:09 午後

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子猫を殺してはなぜいけないのか? 倫理・宗教・法律を持ち出さず、かつ情に訴える以外の方法で、「なぜ子猫を殺してはいけないか」を説明してください。 説明できない・いけない理由はない・ケースバイケース、という... [続きを読む]

受信: 2006.08.31 02:47 午後

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