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【日記】「批判」という表現

なにやら面白いことになっている。クリエイターへの批判の是非についての話

僕はどちらかといえばozricさん(リアルで知ってる人をHNで呼ぶのはこそばがゆいな)とは反対の意見で、むしろcavoriteさんの「酷評で駄作を駆逐せよ」という考えに同意だったりする。 コミケに行けば漫画描きがゴマンといるし、ネットを見れば文章書きが腐るほどいる。この表現のハードルが下がりきった現状に、僕は心底ウンザリしてる。
失語症状態からあらゆる小説の文脈を捨て、まったく新しい小説を書き起こそうともがき苦しむ作家がいる一方、才能があると勘違いしたヒマ人が物まね小説をサクサク書いて悦に入っているのは、もはや喜劇を通り越してシュールとしか言いようがない。
そんなお気楽な連中が、物の価値を知る人間にボコボコに批判されたとしても、僕はそれを擁護する気にはならない。匿名であろうとなかろうと関係ない。実力者に与えられる当然の敬意と威厳を保障するためにも、そういう連中への批判はあってしかるべきだ。またそれによって、素人が自己を表現することに恐れを抱くような最低限のハードルが意識されたほうがいい。このネット社会はあまりに表現に対して抑圧がなさすぎる。横暴な匿名批判があってやっとバランスが取れるくらいではないか。

さらに、プロ/アマの境界線が薄くなった現在だからこそ、プロは酷評ウェルカムな態度で望むべきである。なぜならそいつはプロなのだから。生活かかってる人間の肝っ玉を見せてやるべし。そのくらいの覚悟がないなら表現で飯を食うのはやめたほうがいい。それが今の時代のプロとアマの決定的な違いだと思うし(逆に言えばそのくらいしかない)、「表現」というのはその程度には特権的であって欲しい。

「何か作品に対して批評するときは自分の好きなものを列記する」という案についても、これだけでは不十分だと思う。なぜなら、好きな作品はその場に応じていくらでも偽れるから。批評の価値は批評の文章そのもので評価すべきだ。
小林江藤柄谷といった面々が批評しかできないにも関わらず、圧倒的な畏怖と敬意をもって君臨できたのは、彼らの文章が批評した作品に劣らず、時には勝るほどに、論理的で美しい一個の作品だったからだ。大半の作家は怖くて論戦も挑めない(例えば隆慶一郎は小林秀雄が死ぬまで怖くて小説が書けなかった)、そんな圧倒的な知識や見識が文章から透けて見えたからこそ、彼らは「批評家」という職業をまっとうてきた。このレベルで作家を抑圧できないなら「批評家」などと名乗るべきでないし、自分の書き物を「批評」と定義してほしくない(当然、僕もそうすることはないだろう)。

要するに、批判はいやおうなしに批判者の表現になってしまうのだから、あとは作品と批判、二つの表現を対置して、そのどちらに感情移入するのかという問題になる。もちろん、くだらない内容の批判であるならば酷評されなければならない。くだらない作品がそうされるように。
ぼくたちは作家と批判者を同じ地平で見ることができるはずだ。

そこでは、批判は作品に匹敵する「表現」になっているだろうか? 

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コメント

いくつか読んでみたんですが、面白くないのばっかですね。もう少し文章考えて書かれてはいかがでしょうか?

投稿: あ | 2005.05.21 09:09 午前

コメントとあわせて読むととても面白い読み物だと気づきました!!!

投稿: | 2005.05.27 04:49 午前

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