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SisterPrincess in U.C.

世間では不当に評価が低い「機動戦士ガンダムZZ」だが、Zガンダム劇場版の公開を控えている今、あえてZZを擁護してみたい。

「あたしにはジュドーの気持ちわかる!あたしはリィナじゃないから、リィナの代わりは無理かもしれないけど…でも、今日からジュドーの妹になってあげるよ…」
こんなこと言われたら世間の男は妹属性がなくても舞い上がってしまいそうだが、このプルの「妹宣言」には深い意味が隠されている。なぜならプルはこの物語において、アクシズの指導者ハマーン・カーンの分身としての役目を担わされているためだ。ハマーンの愛機「キュベレイ」の量産型を駆るのはもちろん、重要キャラでありながらハマーンと同じ画面に現れることはほとんどない。それはハマーンがプルの影であり、プルもまたハマーンの影だったからだ。ハマーンはプルという姿でZZにずっと登場していた。それを考えれば、OPにプルとハマーンが重なるシーンがあるのも納得できるだろう。プルとプルツーはハマーンの二面性であり、攻撃的なプルツーは劇中のハマーンの姿でもあるのだ(深読みをするならプルはハマーンの幸福な時期、つまりシャアとの蜜月時代の姿だったのかもしれない)。

そしてZZの主人公ジュドー・アーシタには、シャア・アズナブルが投影されている。それはハマーンがジュドーにシャアの影を見て惹かれていくことからも明らかだが、ジュドーという「もう一人のシャア」を出したのは、シャアとセイラという兄妹の関係をこのZZで精算するためだ。
ジュドーの妹であるリィナ・アーシタは、常にジュドーが行動を起こす際のモチベーションになっている超重要キャラだが(これは常にセイラの言葉を無視して動いていたシャアとは対照的だ)、途中からグレミーに誘拐され、さらにその後死んだことにされて最終回まで表舞台には登場しない。冒頭のプルの「妹宣言」はリィナが死んだ(ように見えた)直後のものだが、実際にこの台詞の通り、プルはリィナの退場によりジュドーの妹としての立場を担わされているのだ。
さらにもう一人、プルという「妹」を共有するキャラクターが、グレミー・トトだ。物語中盤にリィナを誘拐する彼は、言うまでもなくジュドーのダークサイドである。シャアのように金髪をなびかせ、ジュドーが願ってやまなかった高等教育をリィナに与えたプルとプルツーの支配者。ZZは結局この「2人のシャア」と、その「妹たち」を巡る物語だったと言っても過言ではない。

リィナの代わりであるプル。プルのコピーであるプルツー。プルツーの影としてのハマーン。ジュドーはこのリィナからハマーンにまで連なる「妹」の連鎖の間で翻弄される。そしてこの4人の妹たちは「妹」の座を争うかのように憎み殺し合う。プルはリィナを殺そうとし、プルツーはプルを殺し、ハマーンとプルツーが殺し合う。まさにプルの「私よ、死ね!」の言葉通りなのだ。
そして、ジュドーが愛するリィナから嫌悪するハマーンにまで繋がる一本の線は、かつてシャアとキシリアの間にもあったものだ(もちろんキシリアもまたギレンの「妹」である)。ア・バオア・クーでアムロ打倒に執着していたシャアを当初の目的、つまり「ザビ家への復讐」へ立ち返らせたのは、セイラの存在だった。「妹」の言葉で初心をとりもどし、バズーカ砲で脱出艇ごとキシリアの首を打ち抜くシャアは、「妹」の連鎖の果てにキュベレイの胴体を切断するジュドーの姿と重なるはずだ。

しかし、ジュドーはシャアとは違う。

「ガルマ…私からの手向けだ。あの世で姉と共に暮らすがいい」
このような復讐者の嘲笑めいた台詞をジュドーは吐かない。破壊されたキュベレイのコクピットに向けられた叱責とも同情ともつかないジュドーの言葉には、ハマーンの生き方を理解しえたがための悲しみが宿っている。ジュドーに執着し殺そうとしていたプルツーがもう一人のハマーンなのだとしたら、ジュドーがプルツーに向けた必死の説得の数々も、やはりハマーンに向けられたものだったに違いない。

そして、爆発寸前のキュベレイのコクピットでささやかれたハマーンの最後の言葉

「帰ってきて良かった…強い子に逢えて」
これほど優しい言葉が、かつてガンダムに登場する女性の口から出たことがあっただろうか。この瞬間、ハマーンは「妹」から「母」になった。これはZZという作品がすでに「逆襲のシャア」で到達する地点を見据えていたことを示している。ハマーンの全てを許すかのような言葉を聞いた後でなら、「逆襲のシャア」でのシャアの叫びも理解できるはずだ

「ララァは私の母になってくれたかも知れなかった女性だ!」
シャアの周りには常に女がいた。しかし彼は女の誰もが「母」になれることを最後まで知らなかった。だからシャアはハマーンを捨てクェスをもて遊んだ。これがシャアの悲劇だ。シャアの分身であるジュドーが最後に「母」に邂逅したことでZZはハッピーエンドとなり、落ちゆくアクシズの底で「母」を求めて絶叫するシャア・アズナブルの物語は、ZZの暗黒面へと転落する。「逆襲のシャア」には最後までセイラは登場しない。セイラはZZのラストで、ジュドーとリィナの兄妹の再会を導いたきり姿を消している。それは彼女がもはやシャアにかけるべき言葉を持たないからであり、幸せな再会の裏には、もう一組の兄妹の悲劇がすでに影を落としていたのである。

木星に旅立とうとしているジュドーは、すでに「妹」たちの呪縛から抜け出した存在だ。ジュドーが「母」であるハマーンの因縁の地へ赴くのは、孤児だった彼なりのハマーンへの想いなのだろう。ジュドーは希望としてのニュータイプの物語を最後までやりおおせたのだ。そしてそのすぐ後に、同じ業を背負ったシャアの悲惨な末路が描かれたとしても、いやむしろ描かれたからこそ、「機動戦士ガンダムZZ」はZガンダムの「もう一つのエンディング」として、なくてはならない存在なのである。

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コメント

なるほど!!!

正直ZZはどーでもいいリフレインとインフレ(『なにこれ。Z+?』)だと思ってた。
ハマーン様の終わりをもって「まあいいか。」なんて言ってね。
ジュドーなんぞは初代ガンダム小説版のアムロくらいにしか見てなかったのよ。
でも言われてみれば、ちゃんと完結への物語だったと納得できる。
儂には、ちょいとむつかしかった・・・

投稿: 暇じじ | 2005.12.03 11:18 午後

私がもしリィナが炎の中に巻き込まれているのを
見てしまい、そんな時にプルにあんな事を言われても絶対舞い上がるなんて出来ないむしろあの時のジュドーのようにひっぱたくか私だったら殺している!それぐらいあの無責任な言葉には怒りを感じた!リィナがさらわれた時も邪魔をしてしまいには殺してしまおうなんて普通じゃないしそれに賛同するファンもおかしい「こんなんじゃ天国にも行けやしない」リィナが怪我を負ったときに流した言葉ですこのときどんなに兄を思うあまりに自分を責めていたのか・・・。このときのリィナはジュドーのために必死だったのだと思う。
プルに「強化人間」だと言ってもおかしくないひょっとしたらアクシズのスパイだと思ったからかも知れないからだ!私はリィナよりもプルの人気があるのが気味が悪い

投稿: れもん | 2008.05.12 10:52 午後

失礼します。
ZZは、少し下っ足らずな作品でガンダムと相性の悪いギャグがZZの本質を見えなくしていて、ファースト並にとは言わないまでも、皆もう少し好意的な解釈が出来ればと思っていた作品なので・・・少し救われました

投稿: いまさらですが | 2010.12.30 12:00 午前

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